決意表明のようなもの


異なる意見を聞いたときも、「自分が攻撃されている」と捉えないこと。
発信も、同じく。それはひとつの方向性*1。矯正も強制も面白くないよ。





つぶやく。
ここ数日、「炎上と意見交換の境目ってどこだろう?」ってぼんやりと考えていた。


webのこわいところ。正しくないとされることがあったとき、窘める言葉が非常に多くの人から集中すること。これが"炎上"と呼ばれる状態。
オフラインであれば限られた交友関係内で閉じ、本人に届く言葉は限られていた。本人の知らぬところで話していたり、伝える際も気を遣ったりがあったから。webを通した場合、このフィルターが機能しない。更に言葉は消えない。消えないから更に上に積み重なることもある。そして、当人の目に留まる。
火の手を小さくする方法は?
多くの人の目に触れるかもしれないことの意識。限られた人に届く手段の選択。
blogとかtwitterとか、多くの人が読める手段を取りがちだが、もっとクローズな手段(メールとか?)を活用すべきかもしれない。


意見を受ける側はどうあるべきか。
異なる意見を聞いたとき、素直に受け入れるより反発したくなるもの。「間違ってる、即刻止めろ」と言われたような気になるもの。
しかし、本当にそうだろうか。
「こんな考え方もあるよ」「次はこうしたら」と助けてくれたのかもしれない。
それを、ざわついた心で受け止めるのはもったいない。
そして、決めるのは自分自身。人の意見はその助け。


...とまあ、それだけでは堅苦しいwebの世界ができてしまいそうな気がするから。
楽しいことも。
コメントとかfavいただいたり、人の書き物を読んで「こんな考え方もあるんだ」と思ったり。webのたのしいところ。
プラスの言葉はもらうとうれしいから、ドンドン発信したほうがよさそう。
マイナスは... 難しい。
周りが忘れたころにボソっとやるものひとつだったりして。
伝えなければいけないことならば、攻撃色よりお笑い色でいきたいな。





自分を強く、ひとにやさしく。
webで使う呪文はスクルトベホマラーだけでいい。たまにパルプンテ?




*1:もちろんこの言葉も